【連載】ツタワルドボク(7) 技術力を支える伝える力
ツタワルドボク会長 片山英資
土木は経験工学だと言われている。それは、自然災害と戦ってきた歴史に他ならない。人命、当たり前に訪れる日々のために最新の技術力を活用し、豊かさを創出する。しかし、仮定や想像を上回る災害が発生し、多くの人命や安全が脅かされる。そしてまた、技術を研鑽する。相手は絶えず変化する自然である。そのような中で、経済性を無視して強度と耐久性と安全を追求すれば良いわけではない。過度な安全も税金の無駄遣いとなる。そのような絶妙なバランス感覚を求められる。
日本は少子高齢化が問題だと言われている。単純に理解すると、国内の建設従事者は自然体で減少するだろう。まして、土木の魅力が若者に伝わっていなければ尚更のことだ。そして、生産人口が減少することから、税収は増えず、医療や福祉等をはじめ、全インフラが更新時期を迎えはじめ、多岐にわたって支出は増加する。つまり、少ないコストで人手をかけずに維持管理していく方向性が一つのわかりやすい選択肢として求められる。そのため、最近の技術開発は遠隔操作による非破壊の診断・調査、モニタリング技術などを中心に各機関が競い合うように進められている。
そもそも、日本は戦後の血の滲むような努力から、高度成長期の波に乗り、「モノづくり」の国として立ち上がった。国民性ともいえる細やかさと、努力を惜しまない姿勢が世界品質の信用となった。そして、世界中でインフラ建設に携わり、世界中の技術者を育成する。この姿勢は、多くの国々から賞賛を受けている。
一方、土木のみならず日本の産業は、そのモノに付加価値をつけることが苦手だ。欧米では産地が同じワインでも、栽培方法や製法、それを愛する人を上手に物語化して、価値を創出し、何倍もの価格をつける。つまりブランディングの能力に長けているのだ。日本の土木は、未だに、災害と戦い続け、社会的課題を解決する技術を、その誇り高き姿勢を市民に示せていない。「コトおこし」が全くできていないのだ。ユーザーである市民を巻き込む。共に創る。物語を語る。せめて技術者が輝いている現場を見せる。我々は技術を磨き、それを売りにするからこそ、伝える努力を惜しんではならない。きっと主体性を持った市民は、土木の魅力を語り出す。