第50回富山県建築文化賞表彰式がこのほど、富山市の富山電気ビルディングで開催され、今回から建築賞審査委員長に就任した、蜂谷俊雄金沢工業大学建築学部長教授が審査総評を述べた(以下、原文の通り)。
今回から審査委員長を務めることになりました。富山県に生まれ育ち、いつか故郷の建築文化に貢献したいと志して東京で建築を学び、建築設計をライフワークとし、現在は金沢の大学で設計教育をしている私にとって、たいへん光栄な役職をいただきました。
最初に審査員としての私の思いを少し述べることにいたします。「どの応募作品の何に価値を見出して選定し、それをどのような講評文で記述するか」ということが建築賞の審査員に課された仕事です。審査員は作品を審査しますが、逆の見方をすれば、同時に応募者や社会から「建築にどのような価値を見出す能力がある人物か」という評価を受けているとも言えます。私は、設計者選定プロポーザル、各種建築賞、アイディアコンペなどの審査員を多数務めてきましたが、いつも「逆に審査されている」という意識で臨んできました。そして審査においては、その作品の何に価値を見出して評価するかを明確に意識しながら選定を行っています。
さて、本建築賞の審査委員会は6名の審査員で構成され、各々に異なるキャリアを通した見識をもとに各作品の評価をしています。建築設計を専門とする者のみによる審査会ではなく、審査員によって異なる多様な価値観を尊重しながら、入選作品を絞り込んでいます。今回の応募作品は、一般部門が4作品、住宅部門が7作品でした。例年よりも応募数が少ない状況であり、特に一般部門の応募が少ないことが目立ちました。一般部門に応募するモチベーションとして、「関係者一同で創り上げた成果を社会から高く評価してほしい」ということが考えられます。その時に、建築物の規模・用途やグレードなどにおいて、県・市・大企業が事業主の建築とはとても競い合えないと判断され、応募を見送られる場合が多いのではないかと推察します。対象範囲を広げた中部建築賞や北陸建築文化賞の一般部門との違いを明確にする意味においても、本建築賞の審査では、建築の大小やグレード感に惑わされることなく、厳しい建築条件やコストの中でも創意工夫により優れた成果を生み出し、富山県の建築文化の向上に刺激を与えている作品を高く評価しようと努めました。
一方、住宅部門においては、設計者と施主との間に夢の住まいを実現しようとする濃密な人間関係がありました。そして、その設計プロセスや成果をお互いに楽しんでいる光景が目に浮かびました。また、住宅部門に応募する常連とも言える数名の設計者が存在し、毎年応募しながら審査員との現地での会話を楽しんでいるようにも見えました。私は、この住宅設計に取り組む設計者のことを、審査員になった最初の年に、槇文彦氏が著した1979年の『新建築』時評「平和な時代の野武士達」の文章を思い出しながら説明しました。この言葉は大組織で「禄を食む」ことなく、自分を貫き力強く生きる建築家像を比喩した表現でした。6年後の今回も、現地で説明された設計者が、施主の夢を実現するために厳しい条件下で格闘し、自分の道を突き進んでおられる様を見て改めて感銘を受けました。
建築設計の仕事には、そのプロセスにおいて様々な苦労があります。また、けっして儲かる仕事ではありません。それでも転職することなく続けられるのは、社会や施主の夢を実現できる感動の瞬間があるからではないでしょうか。また、もう一つの喜びは、自身が行った仕事が社会から評価されることです。苦労を重ねて設計した建築が、社会から褒められる瞬間が最も嬉しい時です。本建築賞の入選もその一つとなり、新たなエネルギーを得て、次の喜びの瞬間に向けて夢を追い続けていかれることを願っています。