現代工法と伝統工法を組み合わせ「治水」「景観」を実現
岡林名誉教授「次世代に残すべきもの」 中島川改修工事の一環として進めてきた明治期の石積み護岸の復元・補強工事が完了し、1日に報道機関向けの現地説明会が開かれた。治水機能を確保しながら、既存石材を最大限活用するとともに、石積み表面からコンクリートが見えない工夫などをした工事について、長崎大学の岡林隆敏名誉教授は「次の世代のために残さねばならないもの。現代の工法と伝統工法を組み合わせることで良いものができた」と話した。
説明会が行われたのは、出島橋下流の江戸町側護岸。当日は、岡林名誉教授のほか、工事を発注した長崎振興局、施工した竹下建設工業梶A調査などを担当した扇精光コンサルタンツ鰍フ関係者らが立ち会った。
この地区は明治期に、長久橋から直進していた中島川を西に曲げ、出島の背後に変流させた部分。当時の護岸が老朽化しているため、長崎大水害規模の洪水を安全に流下させる護岸に改築する必要があった。同時に、出島の対岸であることなどから、歴史と文化の継承や歴史を感じられる憩いの空間の創出も求められた。
このため、▽明治期の既設石積みの石材をできる限り再利用し、足りない石材は新材で積み直し、当時のおもむきを復元する▽既設石積護岸の根入れ部分はそのままとし、その上に石を積み直す▽練積みで強度を確保しつつ、石積み表面からコンクリートなどの人工物が見えない工夫をする▽石をきれいに積み過ぎない(目地のライン、石積み表面の加工)―といった工事方針を決定。
明治期の石材 4割利用 再利用する既設石積み石材は、写真判定ののち、実際に取り上げてヒビなど強度に問題がないか確認して選定。「必要な石材の4割程度を既存石材にできた」(岡林名誉教授)。残る石材は、既存石材との調和や強度、コスト、供給量などを総合的に勘案し諫早石を使うことにした。
石積みでありながら、現在の河川護岸の技術基準を満たした強度を確保するため、深目地半練護岸(コンクリート)とし、木杭で基礎を補強。さらに、石積み前面を矢板護岸と張りコンクリートで保護して河川断面の安定性を確保することにした。
石積み表面から見えないコンクリ 石積みに当たっては、目地のラインが直線にならないよう配慮したほか、表面も加工し適度な凹凸を設けた(新石材)。さらに、石の並びが明治期の復元になっているか学識経験者に確認してもらった上で、胴込め・裏込めコンクリートを打設。この際も、表面から10a程度奥の石と石の間にバックアップ材を設け、コンクリートが表面に流出しない工夫をした。水抜き管も表面から見えないよう、表面から10a程度奥に配置し、石の隙間から水が流れるようにした。
工事区間は、遺跡『出島和蘭商館跡』の範囲内のため、工事と並行して発掘調査を実施。この際に発掘された荷役用石段も復元した。
通常の護岸工事に比べ手間と費用を掛けた今回の事業。岡林名誉教授は「現在の間知ブロックに比べて大きく、人間の歯のような扣(ひかえ)をした伝統的な間知石を次の世代に残し、伝えることは我々の世代の責務」とし、取り組みの重要性を訴えた。
今回、石積み工事が完了したことから、今後、止水機能を果たしていた矢板の地上部を切断。埋設部は矢板護岸として活用するとともに、張コンクリートで保護する。引き続き、長崎市による公園整備や橋梁(出島表門橋)工事が進められる。