長崎県電気工事業工業組合青年部協議会 吉福雅史部会長に聞く 全九電協の強固な絆を再認識 長崎から18人が支援活動に従事―まずは、今回の熊本地震復旧対応にあたることになった経緯を伺いたい
「4月14日に発生した熊本県熊本地方を震源とする地震により、多くの被害が出ました。当然のことながら熊本・大分両県の組合員・青年部員も被災されています。同じ九州で生活する我々にとっても、この災害で被災された方々を支援するために何か協力できることはないかと思っていたところ、熊本市より、全九州電協青年部へボランティア要請が届いており、全九州電協青年部に属する長崎県青年部としても、各支部青年部においてボランティア活動を実施する運びとなりました」
―現地に赴くにしても、情報が錯綜する中での参加者募集は困難だったのでは
「当然、現場は混乱した状態が続いており、正確な情報収集は困難を極めていました。余震が続き、ボランティア中止の可能性も否定できない状態でしたので、今回のボランティア活動要請に関し、組合および青年部からの強制ではなく、あくまでも自己責任での自主参加とさせていただきました(ただし組合体制・指揮系統は全九州組合組織通り)。また、今回は長崎県青年部員に限らず青年部OBや組合員企業の若手有志など、幅広いご案内とさせていただきました」
―そうした中でも参加者が集まり、現地へと向かったのですね
「我々、長崎県工組青年部では、雲仙普賢岳噴火災害で被災した島原支部会員を含む18名が参集し、それぞれ2d・1dトラック、軽トラ、ワゴン車に乗り合わせ、4月27日の午前5時に出発、島原からフェリーで熊本県に入りました。事前に被災地と協議した上で持ち込んだ支援物資(飲料水、ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、大人・子供用紙おむつ)を熊本市の受付所に届けると、その足で熊本県民総合運動公園陸上競技場(うまかなよかなスタジアム)に向かいました」
―主にどのような活動を行ったのでしょうか
「集積された救援物資の受け取り、仕分け、整理整頓、避難所への物資の搬送などが主な業務でした。従事者はこの時点で全九州電協青年部のみで130名いたので、各県会長をリーダーとして10人1グループのユニットを作り、作業に合わせた人数で臨機応変に対応しました。もちろん宿泊等は確保していませんでしたので、自炊で、就寝は持参した寝袋を使いました」
―急な要請だったにもかかわらず、130名も集まったのはすごい事ですね
「当初は30名程度の参加者を予定していたのですが、まさか130名も集まるとは正直なところ思ってもみませんでした。同じ業界に所属する青年部の強固な絆を再認識しました。まさに“九州はひとつ!”と感じた瞬間です。仕分け作業についても、スタジアムに着いた当初はとにかく段ボール箱が山積みになっており、熊本市の対応スタッフも、作業にだいたい3〜4日はかかるだろうと言われていましたが、限られた2日間で完了することができました」
―町中のようすもご覧になっていたのですよね
「熊本市の同じ組合員の会社も寄ったのですが、社屋の外壁がずれ、従業員も被災されていましたから、いつも遊びに行っていた時とは様相が全く違っていました。ですから、これっきりではなくて出来る範囲で継続していきたいと思いました。もちろん、今回集まった人以外でも、行きたくても行けない人もいたでしょうしね。また、行く必要があると感じています」
―電気はライフラインの1つです。専門業者の視点から見た被災地の復旧対応について伺いたい
「熊本地震におけるライフラインの電気に関しては、北は北海道から南は沖縄まで、全国の電力会社が組織立って現地に入り復旧作業をしていました。東北大震災のことを思い返しますと、電気屋はとにかくやることが多かった。水とガスはいいから、とにかく電気の復旧を急いでくれ―という現地の声が多かった。これは携帯電話やPCの普及もあったと思います。今回は組合として組織立った動きができるという事を見せるいい機会ができたと感じています。1企業でできることは知れていますが、組織では一致団結して動く事が出来ます。ボランティア活動中は、県域を超えて、末端まで参加者が言葉を交わし、作業に従事することができました。震災と言う苦しい状況ではありましたが、これをきっかけに九州内の会員の結束はより強固になり、電気工事業の素晴らしさを発信できたのではと感じております」