鹿児島建設新聞
2016/04/28
【鹿児島】熊本地震ルポ 被災地の現実に唖然
熊本県を突如襲った大規模地震から4日後の18日、支援物資を届けるという県造園事業協同組合(有村勝則理事長)に同行する形で被災地を訪問した。現地に一歩足を踏み入れると、阪神大震災と同規模のマグニチュード7・3を記録した大災害により街の姿は激変。これまで当たり前にあったはずの日常風景は消え去り、倒壊した家屋やひび割れた道路、切れて垂れ下がった電線−など、目を疑うほどの無残な光景が広がり、唖然(あぜん)とするしかなかった。
(報道部記者・厚地健太、中園信吾)
■全壊建物に震撼
有村理事長の「無事に帰ってきてほしい」という言葉を胸に、九州自動車道八代インターチェンジから国道3号を北上。最初の目的地である熊本県民総合運動公園を目指した。途中、渋滞する国道を避け、カーナビに頼って進路を東に。通過した小川町で初めて全壊している建物を見たとき、「被災地に来たのだ」と身が震えた。
目的地の同公園サッカースタジアム周辺には、正午前に到着。救援物資を満載した全国各地から集まったトラックでごった返しており、組合のトラックが物資を搬入できるのは夕方になった。
阪神淡路大震災、東日本大震災で被災した地域からも救援物資が届いていた。かつて大きな被害を出した地域が、今度は熊本に手を差し伸べている。東日本大震災以来叫ばれ続けている「絆」を目の当たりにした。
■報道の在り方は
震度7を記録し、甚大な被害を受けた益城町には至る所に爪痕が残された。
木山上町通りは、古くに建てられたであろう個人商店が次々と倒壊。混在する民家も、斜めに歪んだりぺしゃんこに崩れたりと無残な姿が多数見られた。また、電線や家屋のベランダ部分が垂れ下がっている危険個所が散見され、自然の猛威に足がすくむ思いで現場を歩いた。
取材中、すれ違う車の助手席から「帰れ」という罵声を掛けられた。地元の人かどうかは分からないが、過剰な報道を行うメディアに批判が集まっていたため覚悟≠ヘしていた。それでも「この事実を伝えたい」その一心でシャッターを押し続けた。
無我夢中で写真に収めた国道443号は、地元業者や行政担当者らによる懸命の作業によって現在は通行できるようになった。「地域のインフラを守る」その姿を伝え続けるのもわれわれの使命だと実感した。
■復興はこれから
最後の取材地となった宇土市役所庁舎に到着したときには、完全に日が沈んでいた。暗闇の中でも、無残な姿になっていることがはっきり分かった。死傷者が出なかったのは不幸中の幸いだった。
近隣広場では、給水車や仮設トイレが設置される中、被災者らが車中泊。その車を照らす投光車の管理をしていた拒q岡建設(鹿屋市)の仲道男さんらと偶然出会った。言葉を交わしたところ「被災者の皆さんは思うように物資が届かず苦労していた」と様子を教えてくれた。
取材を終え、1日中駆け回った達成感と大震災を目の当たりにした悲壮感が入り混じる中、車を走らせているとスマートフォンから緊急地震速報のアラームが鳴り響いた。「まだ気を抜くな」「復興は始まったばかり」。そう言われた気がした。
東日本大震災からわずか5年で発生した今回の大災害。住宅のみならず生活インフラが破壊され、避難生活は長期化することが予想される。そのような状況下でも、現場では迅速に復旧作業が進められ、本県からもいち早く支援に乗り出すなど、素早い対応を行った建設業に対し改めて敬意を感じた。