日刊建設工業新聞
2016/02/02
【鳥取】県土整備部 県OB2人が若手に講話
県土整備部の若手技術者がOBと一緒になって現場研修する交流が1月下旬から続いている。最終日は今月10日の米子・日野管内の各現場。このほど東部庁舎では、元鳥取県土整備事務所長の岡村億見さん(74)と元八頭県土整備事務所道路整備課長の西川直治さん(64)による講話があり、鳥取と八頭県土の若手30人が耳を傾けた。
「コンサル任せにせず、とにかく現場をよく見て」。岡村さんは、自身が若かったころに受け持った各現場を取り上げ、失敗を明かしながらアドバイス。完成した岩美町のバス停改良では鉄筋が入っておらず、やむなくコンクリートをはつってやり直した経験を披露した。
また「元請けとともに最後まで現場を監督しないといけない」。昨年、横浜市のマンションで杭打ち不足が発覚した例を挙げ、丸投げに警鐘を鳴らした。
日置川の橋では周辺の軟弱地盤に手を焼いた。「隣接する住宅に影響を与えてはいけない」。鋼管杭を打つ際、周囲を矢板で囲ってやると「振動がまったくなく、上手くいった」と振り返った。千代大橋の下部工でも右岸側の軟弱盛り土を地盤改良して難題が克服できた。
先月25日、日南町三吉で発生した土砂崩れでは「似たケースが倉吉でもあった」とし、竣工して間もない法枠が崩れ落ちた体験を紹介。原因に「水路があった」と指摘した。
そして、岡村さんは「土木は悩む仕事。胃がきりきりすることがよくあった」と追想。その上で「問題は一人で抱え込まず、上司に相談すること」とし、「『組識で仕事(対応)をするんだ』という気持ちを持ってほしい」と呼びかけた。
一方、西川さんは2004年9月、智頭町市瀬の旧採石場が大規模崩落した現場を振り返った。4万立方bの土砂が千代川に流れ込み、集落の10戸が床上浸水した。
復旧の様子をビデオで紹介。大型の無人重機による山頂排土や、ヘリコプターから散布する植生基材吹き付けなど次々と迫力ある動画が映し出された。
当時、西川さんは復旧現地事務所長として陣頭指揮に当たった。一刻を争う山頂排土では、旧久本砕石の土地を買収しなければならず「競売に競り負け、その後買い戻してやっと工事発注できた」。また、河川トンネルは河川災害復旧事業を申請。目論見書を40日足らずで仕上げ、翌年2月には発注することができた。
3年半の復旧のさなか「会計検査が2度あった」。1回目は05年1月にあり、01年に残廃土が崩落した際の02・03年の復旧工事が対象だった。「当時の資料は現場事務所内にあり、(04年の大規模崩落で)見られたものじゃなく、泥まみれになったまま提出するしかなかった」と語った。
2回目は07年5月。「とにかく細かい設計の内容よりも、現場を見てもらうよう仕向けた」。最初に見せたビデオは、実は会検用だった。このほか西川さんは数々のエピソードを披露し、危機迫る現場を述懐した。