北海道建設新聞社
2011/07/27
【北海道】特集・北海道開発局が発足60年−未来の先導役へ
北海道開発局は、総合開発政策の事業実施機関として、道路や河川、港湾、農業農村などの社会産業基盤整備を担い、戦後の日本復興と道民生活の向上に大きな役割を果たしてきた。未開の地だった北海道は、国策による重点的かつ集中的な投資により飛躍的に発展し、北欧諸国に匹敵するGDPを誇るまでに至った。北海道は、日本が国難を迎えたとき、常にそのポテンシャルを発揮し、国難を乗り切る先導役を果たしてきた。日本は今、東日本大震災により、戦後最大の国難を迎えている。「北海道力」を発揮し、この国難を克服するためにも、北海道開発局はその役割を果たすべきときを迎えている。
1951年7月1日。北海道開発法の一部改正に基づき、北海道開発局が誕生した。前年の50年の北海道開発法施行、開発庁設置と合わせて、この年の開発局設置により、北海道開発政策システムが確立した。52年には北海道総合開発計画第1次5カ年計画がスタートし、戦後の日本復興に向け、喫緊の課題であった食料や資源開発、人口問題などに対応するため、本州に比べ圧倒的に遅れていた社会産業基盤整備が飛躍的に進むことになる。
当時、国会では、増田甲子七初代北海道開発庁長官が「国家の総力を挙げて、国民的事業として、国民の代表者である国会に対して責任をとり得る体制において北海道の開発を行わなくてはならない。われわれは、国の総力を、物心両方面に総がかりで北海道に傾倒すべき時期である」と演説。北海道開発は、戦後の荒廃した国土と、敗戦により打ちひしがれていた国民にとって、フロンティアの大地として受け止められていた。
発足後まもなく、北海道開発局は、歴史に残る巨大プロジェクトを始動させる。56年には、当時の世界銀行の融資を受けて、篠津地域泥炭地開発や釧根パイロットファームに着手。翌57年には苫小牧臨海工業地帯造成計画が策定される。いずれも、国費の重点的かつ集中投資により、産業基盤を整備し地域開発を進める手法であり、その後の全国各地の地域開発政策のパイオニアとなるものだった。