福島建設工業新聞社
2011/06/09
【福島】戦中戦後の歴史秘めた旧ノートルダム修道院(福島市)被災し解体へ
昭和10年、福島市の花園町に建てられたゴシック建築の修道院が、さる3月11日の東日本大震災および直後の余震で大きな被害を受け、来年の解体が検討されている。
桜の聖母学院誕生のきっかけとなった旧ノートルダム修道院で、当時カナダから来日したコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会が「福島修道院」として建築したものだ。チェコのヤン・ヨセフ・スワガー(1885―1969)の設計だが木材や建築材料、調度品などはそのほとんどをカナダから船積みした。施工は横浜の関工務店。戦時中の横浜空爆で図面や資料は失ったが、見つかった見積書には「床面積610坪、建築費8万20円」とある(歴史春秋社刊・紺野滋著「福島にあった 秘められた抑留所」)。当時、周辺一帯は水田で6000uを購入。工事中に賃金問題で大工職人がストライキを起こすといったアクシデントもあったが、昭和10年5月、総工費30万円で完成し、地元紙が「白亜の殿堂竣工す」と報じた。本格的な洋風建築の出現は、市民の大きな反響を呼んだようだ。
華麗にスタートを切ったゴシック様式の修道院だが、この後思わぬ歴史に巻き込まれる。第2次世界大戦下の同16年に外国人捕虜140人の抑留所として明け渡しを命じられ、戦後は東京からの戦災孤児を受け入れた。
しかし、敵国の民間人を抑留していたことによって施設は「聖域」となり連合軍の爆撃をまぬがれたと言われる。したがって今日まで76年間、ほぼ建築当時のまま維持管理されてきた。修道院としての役割は平成12年に終了し、その後は一般市民にも開放された。
質素なファサードの堅固な木造建築は、内部に入ると白漆喰の壁、磨きぬかれた腰板や床に徹底した維持管理の労苦が読み取れる。床材の組み方など至るところに職人技が施され、吟味された建材とともに関係者の心意気が伝わる。チャペルのステンドグラスからは自然光に近い柔らかに光線が差しこむ。カナダから持ち込まれたアンティークな照明器具やドアのノブ、創設者マルグリットが自らデザインした硝子の文様等々、「貴婦人のよう」と表現する記述もある。
その「貴婦人」に大震災が容赦なく襲いかかった。左右対称の屋根の瓦が崩れ落ち漆喰壁が随所で崩壊し、骨組みに亀裂が走る。屋根裏のがっちりした小屋組みには透かしが入り雨漏りがする。正面玄関奥に据えられていた聖母マリア像は、床に落ちたが原形はとどめており修理すれば蘇りそう。
ヘレンケラーや高松宮妃も来訪した、歴史的にも建築学的にも由緒ある同修道院の被災が知れ渡ると、保存運動を提唱する声があがった。しかし、それには多額の費用がかかるため断念せざるを得ないというのが修道会の方針。「せめてチャペルなど主要部を記念館として残すことができれば」と静かに話すシスター山口。