元日に発生した能登半島地震では「輪島市三井町での初動対応が一番印象に残っている」と、緊急車両の通行を可能にする「道路啓開」作業を振り返る。
当時は輪島国道出張所に勤務しており、2日午前2時過ぎに実家のある富山県氷見市から能登方面へ車を走らせた。現場は輪島市街地へ続く県道1号線。土砂崩落が発生し、巨大な礫岩(れきがん)が道を塞いでいた。土砂の撤去には相当な時間がかかり、さらに崩れる危険性もあった。
被災者への緊急支援物資の早期搬入へ一刻を争う状況の中、「2、3日でどうにか輪島まで道をつなげることが任務」だと、幅員約4メートルの1車線確保が可能な旧県道を通すルートを選んだ。
「今でもあの選択が正しかったのか自問する時がある」と思案顔を浮かべるが、監督職員として現場を指揮し、施工者の日本建設業連合会(日建連)と共に、4日までに輪島、珠洲両市街地への道路啓開を実現した。「災害対策本部が『現場で最善策を選んで進めてほしい』と言ってくれた。それが心の支えになった」
国が権限代行で実施する大規模崩落が発生した輪島市の千枚田地区の国道249号では、隆起した海岸地盤を活用して迂回路が整備され、5月2日に通行可能となった。能越自動車道・のと里山海道は7月17日に対面通行が再開。徐々に復旧作業が目に見える形で進んでいる。
千枚田を含む輪島、珠洲両市の国道249号沿岸部4地区は1車線や2車線で遅くとも年内に通行確保の見通しが示されている。「『道しるべ』という言葉があるが、道の復旧の目安があって、初めて被災者が再建へ動くことができる」と話す。
大災害の初動対応を記録として残し、今後の防災・減災につなげようと、半年間の復旧の取り組みをまとめた動画「道路啓開の軌跡」も制作した。今後、本格的な復旧が加速することになり、「地域の特色を絡ませながら、皆さんに喜ばれる道づくりをしていきたい」と意気込んだ。
たなか・よしたろう 金沢大学理学部地球学科卒、2001年国土交通省入省。47歳。