日本建築家協会(JIA)北陸支部石川地域会による建築設計事務所などの若手世代を対象にした連続セミナー「金沢のチカラ〜さまざまな視点で読み解く金沢の魅力〜」の第3回が17日、金沢学生のまち市民交流館で開かれ、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館長の水野一郎氏が金沢の街づくりについて講演し、グループディスカッションも行われた。
水野氏はまず、金沢の都心部、中心点のシンボルは「各時代に一番力があったもの、一向宗の寺内町から都市として歩み始め、前田家が約300年、明治維新で陸軍(軍隊)、終戦後に新制大学が設置され、2000年に金沢城公園となった。金沢は緩変都市として460年の歴史的重層性が見えるバウムクーヘン都市、2本の川に挟まれた坂のある都市」と述べた。
これからも引き続き金沢を育むために「過去の優れたものを守り、歴史に責任を持つとともに現代の創造力を付加することが大切。これからは君たちがつくるものが歴史になる。その勝負に挑戦して欲しい」と呼びかけた。持続可能な都市の構築として「SDGsや低炭素社会の実現などに立ち向かっていかなければならない。源流から河口までが金沢である浅野川、犀川をきちんと守ることで、おいしい水と空気、土の基盤を維持できる。それが木の文化都市を目指す根拠でもある」と語った。
歩ける都心づくりなど/グループディスカッション
グループディスカッションでは、参加者が4つに分かれ、自由なテーマで議論した。
Aグループは「お茶の文化や美意識が工業化にあがなう術になるのではないか」としたほか、Bグループは、歩ける都心づくりについて議論。「金沢も新幹線開業前、街なかはほとんど人が歩いていなかった。富山や福井も同様で、これは地方の永遠の課題」とし、他グループからは「金沢ならクルマを通さないとか、一方通行といった尖ったことができるのでは」などの意見が出された。
Cグループは「建築家・武田五一が設計した石黒ビルを本当に保存しなければいけないのか」といった指摘があったほか、Dグループは金沢駅から武蔵ヶ辻間について「歩きやすいが素通りになっている。ポテンシャルはあり、マルシェなどができれば賑わいが生まれる」などの提案が出された。
水野氏は歩ける都心について、「武蔵ヶ辻から橋場町間の車道を4車線から3車線にして歩道を広げればいい」、県外資本のホテルファサードには「木虫籠なら金沢らしさと言えるのか。安易さが感じられる」、南町周辺には「日銀金沢支店があり、金融機関や証券会社が集積したが、土日は誰もいない都心になった。そこに新幹線開業でホテル建設が相次いだが、もう一回変化が起きるかも知れない」との認識を示した。日銀金沢支店の跡地利用には「人が集まり、自らの文化を磨く文化村構想を立ち上げたい」と述べた。
約40年前から自らが提唱し続け、東京から金沢に移転した国立工芸館を引き合いに「(夢や構想を)実現するためには言う事。言い続けることが大切。そして建築家は形と空間のデザインを思い浮かべ、設計に生かすこと」と強調した。
当初、3回の予定だった連続セミナーは、若手の活躍を期待し、4月以降、2023年度石川地域会の委員会活動案として、来年1月まで6回にわたり、開催される予定。